2023.08.28

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佐野病院 理事長兼病院長・佐野寧さん 奥様・真弓さん、長女・菫さん

神戸市垂水区にある神戸最古の病院、佐野病院。長く地域医療に貢献してきましたが、現在は、最先端の消化器がん専門病院として周知され、関西一円はもとより、日本全国、海外からも多くの人が訪れています。その大転換を図ったのが4代目である理事長兼病院長である佐野寧先生。最先端の内視鏡の開発者でもあり、2006年に同病院に入職後、自らの専門領域となる消化器部門・消化器がん部門を扱う消化器センターを設立し、年間を通して数多くの内視鏡検査・治療を行っています。今回、佐野先生に医師としての経歴や、内視鏡の開発秘話、愛車であるメルセデス・ベンツ「GLC AMG 43 クーペ」と内視鏡との共通点、そして趣味であるヨットライフについてお聞きしました。

ーー歴史ある病院に戻り、消化器センターを設立

当病院は1888年神戸市中央区元町に開院。初代院長は、私の曾祖父である佐野誉で、神戸海軍操練所の勝海舟や中国の孫文の主治医でもありました。1970年に現在の場所に移転して以降も、総合病院として地域医療に貢献してきました。
私自身も、医師家系だったこと、父から「男はドクターだ」と言われて育ってきたことから自然と医師の道へ。父の専門は糖尿病内科だったため、最初はこちらを専門にしようかと考えていたのですが、私が興味をひかれたのは内視鏡を扱う消化器内科でした。高校時代からギターが得意で、内視鏡も両手を使うという操作性に共通点を感じたことも理由のひとつです。
国立がんセンター東病院や秋田赤十字病院などで研鑽を積み、厚生労働科学研究班の班長として活動していた30代後半、父親から「佐野病院に帰って来てくれ」と言われたんです。自分自身は、研究・開発が楽しく「未知なることを発見したい」という思いにあふれていた時期だったので、最初は気が進みませんでした(笑)。しかし、当病院に消化器センターや研究所を設立し国立がんセンター東病院と同じ研究を続けられる環境が整ったこともあり、2006年に着任。消化器部門では、私の専門である大腸をはじめ、あらゆる消化器疾患に対しての診療を行っており、患者さまの身体に負担が少ない低侵襲治療を提供。当院の内視鏡検査は年間7000件を超えています。

――目に見えない患部を浮かび上がらせる最先端の内視鏡を開発

国立がんセンター勤務時代に、オリンパスと共同でがん細胞を強調して表示できるNBI内視鏡の開発に成功しました。
プロジェクトは、どういったものを作るかといったアイデア自体も白紙の状態からスタート。それまでの内視鏡は、白いものは白く、赤いものは赤くと、患部を忠実に映し出すことで進化を遂げてきました。しかし、カメラはありのままの姿をいかにリアルに映し出せるかが重要ですが、医療においてはあるがままを映し出すことよりも、隠れているものをいかに見つけられかが重要ではないかと。そこでがんの特徴的な波長を解析し、光を重ね合わせて作成した特殊な青い光で、通常では見えにくい小さな病変が浮かび上がる内視鏡の開発に取り組み、8年の歳月をかけて、世界的にリリースすることができました。

――内視鏡とメルセデス・ベンツとの共通点は多い

 医療従事者として忙しい日々を送る中で、プライベートの多くの時間を占めてきたのがアウトドア。24歳の頃から4駆に乗り始めたクライスラー・ジープを皮切りに、キャンプをしたり、釣りに出かけたりとプライベートの多くを4駆の車と共に過ごしてきました。私とメルセデス・ベンツとの出合いは、妻が「GLA」に乗っていたこと。買い物や愛犬の通院、子どもの送り迎えなど、主に日常使いに使っていますが、その車検のためについていった「メルセデス・ベンツ神戸西」でGLCが置いてあったんです。自分の車には、釣りの道具や75リットルのクーラーボックスなど、たくさんの荷物を運ぶ必要があるので、4駆じゃないと入らないな…という考えがあったのですが、GLCのラゲッジスペースはとても広く、「難なく積み込むことができそう!」と思いましたね。
 そして、内視鏡とメルセデス・ベンツ「GLC AMG 43 クーペ」とは非常に共通点が多い点に惹かれました。ひとつめは、「人の手により精密に作りこまれた設計」です。例えば内視鏡のスコープは、実は400以上ものパーツで作られていて、小さなパーツ一つひとつに専門のスタッフがいて精密に作り込んでいます。メルセデス・ベンツAMGのエンジンも大量生産ではなく、手作業で組まれたものが搭載されています。人の手によりきっちりと妥協なく追求している精神に非常に共感が持てましたね。
2つは「レスポンスの良い操作性」です。内視鏡は非常に細かな操作が可能で、思いのままに確認したい場所にスコープを合わせることが可能です。GLC AMG 43 クーペも、踏み込んだ時の立ち上がりやブレーキのかかり具合などレスポンスがすごくいいんです。最高出力390馬力で、踏み込んだ時のスピードは、他車に比べて圧倒的に勝っていますね。釣りやダイビングに行くときなど高知まで車で行きますが、遠出の時も高速走行が安定しているから、乗っていてとても快適です
最後に「安全性」に関しても精神は同じ。医療の中で最優先するべきことが安全性ですが、メルセデス・ベンツも非常によく考えられていると実感しています。

――プライベートでは風を受けて爽快に走るヨットライフを満喫

私と海とのつながりは長く、45年くらいになるでしょうか。元々は父がクルーザーを持っていたので、私も一緒に小さい時から海に出ていました。自身がヨットを運転するようになったきっかけは、家族で旅した奄美諸島の加計呂麻島。そこでガイドを務める、ヨットの大御所とも称される方から、「ヨットは地球上ではじめて人類が作った乗り物」と言われたことがイニシエーションとなり、操船技術を習い始めて50歳でヨットを持つことになりました。
ヨット内部にはキッチンや寝室、シャワールームもあり、必要な機能が備えられています。ご飯を作ったり、眠ったり、みんなとしゃべったりできる、言わば「動くリビング」みたいなもの。家族でヨットに乗って初日の出を見に行ったこともありますし、私のヨット好きは息子2人にも影響したのでしょうか、2人とも大学でヨット部のキャプテンを務めましたね。
ヨットは行くまでのプロセス、行くまでの時間までも楽しめるのが魅力です。そして一度海に出ると、信号もなく自由にすすむことができる爽快感が醍醐味。風に合わせて目的地を変更する、自然に合わせた楽しみ方ができます。またヨットを通じて、友だちが友だちを呼び、色んな職種の人とのつながりができきたのもヨットのおかげです。

ーー「自分にしかできないことが必ずある」を次世代に伝えたい

人生の大きな指針となっているのは、進化に置いてきぼりにならず、「いいものは取り入れていく」ということ。そして「自分にしかできないことが必ずあるはず」ということ。現在消化器内視鏡の医師の育成を目的としたトレーニングセミナーを開催するなど、さまざまなかたちで次世代の教育にも注力しています。人に教えられないと1人前にはなれないですし、歴史・技術を継承していくためにも教育は必要だと考えるからです。皆さんに伝えていることは、「自分にしかできないことが必ずあるはず」ということ。100人いたら100人それぞれが、小さなことでもできることがあると思いますし、そのために努力することが大事。みんな平等にチャンスがあります。誰に教えられたわけでもないですが、この考えが現在の自分の指針になってきました。今ある医療、自分自身の人生もより良いものにしていくチャレンジを重ねたいと思います。